京都 進路資料室

-京都の高校 大学合格実績-

2018 東大推薦・京大特色入試など推薦AO入試の合格速報

公立大学の前期日程入試はまだこれからですが、年々拡大傾向にある推薦AO入試は一足早く合格者が決まり、週刊誌等でも報道されています。

京都府内の高校から、難関国立10大学(旧帝大および東工大、一橋大、神戸大)への推薦・AO入試での合格状況は次のようになっています。

※全体の6~7割の合格者判明率のため掲載の高校以外からも合格者がいる可能性があります。

※1 京都大学合格者に京教大附と龍大平安を各1名追加(2020/02/27)

東京大学

 西京1(法)

 堀川1(工)

京都大学

 堀川3(文1 工1 薬1)

 洛南3(文1 教育1 経済1) 

 京都学園1(農)

 京教大附1(文)※1

 西京1(人健)

 山城1(経済)

 洛星1(工)

 洛北1(人健)

 龍谷大平安1(人健)※1

大阪大学

 南陽3 桃山2 西京1 嵯峨野1 園部1 

 堀川1 山城1 洛北1

 京都女子1 京都橘1 洛南1

神戸大学

 西京2 莵道1 堀川1 宮津1 紫野1 洛北1

 大谷1 京都学園1 京都成章1 洛星

北海道大学

 南陽

名古屋大学

 桃山1

九州大学

 山城1

 立命館

 

年目となった東大推薦入試では西京と堀川から、それぞれ初の合格者が出ました。昨年まで2年連続で合格していた洛星、洛北からは今年は合格者がいなかったようです。

京大では堀川と洛南が3名ずつ合格しています。両校とも3年連続の京大特色入試での合格です。

他に3年連続で合格者が出ている高校は西京、洛星、洛北ですので、やはり京都における京大合格者数上位校が特色入試でも継続して合格しています。

ただ、西京は昨年6名合格が、今年は1名と大きく減らしました。もちろん、推薦入試での結果と一般入試の結果は別物ですので、今年は一般入試で京大に挑戦する人が多いということなのかもしれません。

 

 

 

1975年 京都大学合格数ランキング

イゴン陥落でベトナム戦争終結した1975年のランキングです。

順位の入れ替わりはあるものの上位6校までの顔触れは1970年と同じです。

1位北野高校の112名合格は1973年の114名に次いで同校史上2番目の合格者数です。これ以降、公立高の合格者数が100名を超えた年はありません。

(※追記:2020年に北野が100名合格を達成)

5位の京教大附属高校は、翌年以降は京大合格数が減少傾向となりますので、1975年が最後の50名超えの年です。

岐阜県のトップ校である岐阜高校が過去最高の7位にランクイン。愛知と三重も含めた東海地方の高校4校がトップ20入りし、4校合計で150名の合格者がいます。1970年代前半から中盤は東海地方の高校からの京大合格が最も多かった時期と言えると思われます。

なお、岐阜高校は1975年の東大ランキングでも34名合格で16位に入っていますが、その前年から開始された学校群制度が契機となって70年代後半からは東大京大合格数を減らしています。

東大寺学園がこの年、25名合格で初のトップ20入りを果たしました。翌1976年にいったん20位以下になりますが、1977年以降は2017年まで41年連続でトップ20入り、1985年以降は33年連続で10位以内、1988年以降は30年連続で5位以内と、長年にわたって上位を維持しています。

 

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1970年 京都大学合格数ランキング

阪万博が開催された1970年のランキングです。

トップ3を天王寺、北野、大手前の大阪御三家が占めました。

大阪御三家によるトップ3独占は1966年から1976年の間に計8回ありますが、1970年はその3回目にあたります。

第3期生までが卒業した京都教育大附属高校が54名合格で6位に進出。以後、70年代前半は洛星と京教附属が京都府内1位の座を競いますが、大阪御三家の壁に阻まれ、両校とも全体1位にはなれませんでした。

鹿児島のラ・サール高校が初のトップ20入り。この年の東大ランキングでもラ・サールは59名が合格して初のトップ10入りを果たしています。

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※大教附=大阪教育大学附属高校の合格数は天王寺校舎と池田校舎の合算

1965年 京都大学合格数ランキング

京オリンピックの翌年、1965年の京大合格校ランキングです。

大阪府立の天王寺高校が初の1位となりました。63年は北野、64年は大手前が1位でしたので、この時点で3年連続で大阪の公立高校が1位を獲得したことになります。以降、1978年に洛星が1位となるまでの15年間、北野・天王寺・大手前のいわゆる大阪御三家がずっと京大合格校の1位を占めるという状況が続きます。

兵庫の神戸高校と甲陽学院、愛知の旭丘高校はいずれも初の合格者50名超えで上位に進出しています。

一方で、京都の高校は洛星が3位に入ったものの、1950年代から60年代前半にかけてトップ5の常連であった公立の洛北、鴨沂、紫野はいずれも10位以下と順位を下げました。他府県の高校からの合格者増加に押し出された形です。

都道府県別の合格数でも従来は京都が1位でしたが、前年の1964年に初めて大阪が京都を抜いており、以降も大阪1位が続くことになります。

 

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1960年 京都大学合格数ランキング

保闘争の年、1960年の京大ランキングです。

北野高校が1958年に続いて2度目の1位となりました。前年に47名合格で初の1位を獲得した灘高校は6位に後退。ただし、同年の東大入試では38名が合格しており、灘高として初の東大ランキングでのトップ10入りを果たします。

全体として京都と大阪の公立高校が目立つのは1955年と同様ですが、大阪の高校が合格数を増やして上位に進出し、その分、京都の高校は順位を下げている傾向が読み取れます。

 

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1955年 京都大学合格数ランキング

度経済成長の初期である1955年の高校別京大合格数ランキングです。

前年まで1位だった鴨沂高校を抜いて洛北高校が初の1位になりました(以後、洛北は1957年まで3年連続で1位)。

上位10校の内、私立は灘高校のみで残りはすべて公立です。しかも京都の公立高校が6校ランクインしており、現在とはかなり様相が異なります。なお、同じ年の東京大学の合格者ランキングでも上位10校中、7校までが都立高校で占められています。ちなみに灘の同年の東大合格者数は11名です。

11位以下にも京都と大阪の公立高校が目立ちます。関西圏以外からのトップ20入りは2校のみですが、その内の1校である18位の長野県・松本深志高校は同年の東大合格ランキングでも11位に入っており、27名が東大に合格しています。

上位20校の大半は現在でもそれぞれの地域で進学校と目されている学校ですが、中には近年の京大合格者がゼロや数名にとどまる学校もあります。

なお、この年の京都大学の合格者総数は1353人でしたので、現在(2017年は2743人)の約半分です。

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    ※大津東は現在の膳所高校、三島野は茨木高校。

 

 

 

2017年 大阪大学合格数ランキング

頃ですが、2017年入試において大阪大学に合格した高校のランキングです。10名以上の合格者があった高校を掲載しています(京都府内の高校のみ2名以上を掲載)。

参考として東大、京大、神戸大の2017年合格数も表につけました。

上位には関西圏の有名進学校が並んでいますが、東大や京大ランキングで上位の学校でも阪大ランキングでは、すべてが上位にきているわけではないことがわかるかと思います。

反対に、豊中・生野・市立西宮・姫路東・畝傍など、東大京大合格者は一桁台の学校も、阪大ランキングではトップ20に入ってきているのが特徴です。

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