安保闘争の年、1960年の京大ランキングです。
北野高校が1958年に続いて2度目の1位となりました。前年に47名合格で初の1位を獲得した灘高校は6位に後退。ただし、同年の東大入試では38名が合格しており、灘高として初の東大ランキングでのトップ10入りを果たします。
全体として京都と大阪の公立高校が目立つのは1955年と同様ですが、大阪の高校が合格数を増やして上位に進出し、その分、京都の高校は順位を下げている傾向が読み取れます。
安保闘争の年、1960年の京大ランキングです。
北野高校が1958年に続いて2度目の1位となりました。前年に47名合格で初の1位を獲得した灘高校は6位に後退。ただし、同年の東大入試では38名が合格しており、灘高として初の東大ランキングでのトップ10入りを果たします。
全体として京都と大阪の公立高校が目立つのは1955年と同様ですが、大阪の高校が合格数を増やして上位に進出し、その分、京都の高校は順位を下げている傾向が読み取れます。