京都 進路資料室

-京都の高校 大学合格実績-

京都大学合格者数~1953年以降の累計~

回は東大の累計合格者数を書きましたが、今回は京都大学への京都府内の高校からの累計合格者数を紹介します。

京大については『東大合格高校盛衰史』のような便利な書籍は見当たりませんので、各年の入試結果を調べていく必要があります。出典は以下の通りです。

 ①「京都大学新聞」(1958年以前は「学園新聞」)掲載の合格者氏名、出身校、高校別合格数(1953年~1978年)

②『サンデー毎日』掲載の合格者氏名、出身校、高校別合格数(1970年~2017年)

③各高校がまとめたデータ(学校案内、公式ウェブサイト掲載の合格実績等)

 

1952年以前については、「学園新聞」では合格者氏名のみが掲載され、出身校が不明ですので今回の累計には含んでいません。当時の『蛍雪時代』には高校別合格数が掲載されているようですが現物を確認出来ていません。

「学園新聞」「京大新聞」掲載の合格者名簿には出身高校名に誤植と思われるものや、同名の高校が他県にもある(城南高校)ために特定が困難な場合があります。

また、「京大新聞」に掲載された高校別合格数の一覧表では、毎年多数の合格者を出している高校が、ある年だけ極端に少なかったり、ゼロとなっているケースがあります。合格者名簿のほうを確認してみると集計ミスが見つかることがありますが、すべての年にわたって再集計することは大変な作業量ですので、明らかにおかしいと気が付いた一部分しか出来ていません。

大学側が出身高校の公表をやめた1979年以降については『サンデー毎日』等のマスコミが独自調査したものだけが頼りですが、調査から漏れて、出身校名が判明しなかったケースも当然あると思われます。近年は「サンデー毎日」及び「週刊朝日」と(株)大学通信が共同で各高校にアンケート調査を実施した合格実績が各種メディアに掲載されていますが、これも調査時期のずれによるものなのか、各高校が発表する最終的な合格者数と一致しないケースがまま見受けられます。

上記に加えて、当方が調査・集計する過程での転記ミス、入力ミス等といったことも当然あり得ます。

以下に載せる高校別合格数には、そのような事情があるため、完全に正しいものではないというということをご了解いただいた上でご覧ください。

※なお、洛星高校の公式サイトでは累計の京大合格数は4,199名となっており、当方の集計とは20数名の誤差があります。当然、学校側が公表している数字が正しいはずですが、東大の時と同様、他校と同じ条件とするために当方で集計した数字をそのまま記載しています。

 

京都大学累計合格数ベスト10(1953年~2017年)

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洛星、洛南、京教大附属という長年、京都を代表する進学校がトップ3を占めました。以下に累計が1000名を超えている上位5校について紹介します。

 

洛星は1952年創立の中高一貫男子校です。第1期生が卒業した1958年の京大合格者は7名でしたが、1961年には39名が合格。京大合格数ランキングで初のトップ10入りを果たします(第8位)。

以後、2017年に至るまでの57年間で一度もトップ10から落ちたことがなく、全国で最も長い期間トップ10を維持している学校です。その間にはランキング1位を5回獲得しています。2位は実に15回、3位も9回記録しています。単年での合格数の最高は1993年の119名です。合格者100名以上の年は計7回あり、洛南の19回に次いで2番目の多さです(大阪府立北野も7回)。

近年は合格数が減少傾向にあり、2004年の3位を最後にトップ3入りはありませんが、最近5年でも年平均55名の合格者を出しています。

 

洛南は戦前の旧制中学以来の伝統を持ちます。かつては男子校でしたが2006年に共学化しました。1962年に東寺高校から現校名に改称して以降、進学校化が始まったと言われていますが、今回の累計合格数には東寺高校時代の合格者1名(1959年)も含んでいます。また、『東大合格高校盛衰史』の中では洛南から初の京大合格は1969年のことと記されていますが、「京大新聞」には1965年と67年にも1名ずつ合格者が載っています。

1977年に初の2桁合格(16名)、79年には25名でトップ20入り(17位)、81年に40名でトップ10に入る(10位)など70年代後半から急速に京大合格者を増やしていきました。83年以降は現在までトップ10圏内を維持し続けており、その間には24年連続を含めて計27回、1位に輝いています(初めて1位となったのは1988年)。最も合格者が多かった年は1992年の150名であり、これは全高校の中での最高記録です。

2000年前後からの医学部志向の高まりで、京大よりも医学部を目指すという生徒が増えたためか、2009年の105名を最後に100名超えはありません。最近5年での年平均合格者は72名となっています。

 

京教大附属は1965年創立と、上表の10校の中では最も歴史が浅い学校ですが堂々3位になりました。第1期生が卒業した1968年にいきなり42名の合格者を輩出し、ランキング8位に入っています。70年代は洛星と府内トップの座を争い、4度洛星を上回りました。80年代以降は洛星、洛南に水をあけられますが、府内有数の進学校として長年、京大合格者20~30人台を維持しました。

京大ランキングではトップ10に10回、トップ20以内には計25回入っており、最後のトップ20入りは2009年に記録しています。しかし、この数年は京大合格者が急激に減少しており、2017年は過去最低の5名にまで落ち込みました。最近5年間の合格数平均も10名となっています。

 

堀川は旧制の市立堀川高女を前身とする歴史ある学校であり、戦後に新制高校となってからは他の京都市内公立高校と同様に京都大学に多くの卒業生を送り出しました。1950年代から60年代後半にかけては毎年20名前後の合格者がいます。その後、合格数は減少していき、73年の10名合格の後は合格数1桁台が続き、80年代後半からは合格者ゼロの年が多くなってしまいます。

しかし1999年、校舎新築にあわせて府内全域から募集可能な専門学科である探究学科が設置されます。これにより学区・総合選抜の枠をこえて優秀な生徒を集め、探究科第1期生が卒業した2002年には京大6名をはじめとして、国公立大合格者を大幅に増やすことに成功しました。いわゆる「堀川の奇跡」です。探究科3期生が卒業した2004年には一気に40名が合格して、1960年以来44年ぶりにトップ20に入りました。

その後も京大等の難関大合格者を増やし、今では全国でも有数の公立進学校と呼ばれるまでになりました。

京大合格者ランキングでのトップ10入りは15回、20位以内は23回(内2004年以降が14回)あります。最多合格は2012年の62名です。順位としては2016年の4位(61名)が最高位となっており、1位となったことはまだありません。直近の5年間の平均合格数は50名です。

 

旧制京都一中を前身とする洛北は、戦前期には旧制三高、京大へ多くの卒業生を送り出し、著名な研究者・文化人を数多く輩出したことから京都随一の名門校として知られていました。戦後も1960年代後半までは京大合格者数トップ20以内を維持していましたが、東大紛争により東大入試が中止となった1969年、首都圏の高校からの京大受験が激増したあおりで初めて20位圏内から脱落します。

75年には初の合格数1桁(4名)となり、79年の14名合格を最後に80年代から90年代にかけて合格者10名以下が続きます。2000年にはついに合格者ゼロという事態を迎えたため、京都の公立高校低迷の象徴のように語られることも多い高校です。

2004年、附属中学を開設して京都府内初の公立中高一貫校となり(同年、西京高校も附属中を開設)、中高一貫1期生が卒業した2010年に13名の合格者が出て31年ぶりに京大2桁合格を果たして名門復活を印象付けました。2015年には27名合格で47年ぶりにトップ20圏内に入っています。京大合格者ランキングでは1位獲得が3回、2位が4回、3位が1回。トップ10は12回、トップ20以内を計17回記録しています。最多合格は1955年の51名、過去5年の平均合格数は16名となっています。

 

以下の5校の中では嵯峨野が今年も15名合格して累計数を伸ばしていますが、紫野は1名合格のみ、他3校は合格ゼロという状況です。

 

京都大学累計合格数 11位以下(1953年~2017年)

11位以下で累計合格数が10名以上のランキングです。

西京は今のペースなら(最近5年間で平均27名合格)あと2、3年で10位以内に入ってくるでしょう。桃山も数年以内に山城、朱雀を追い抜くと思われます。

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